シンプルなカメラが欲しい(あるフィリピン人先生の話)



フィリピン人先生から聞いた話です。彼はマニラのあるルソン島の南にある、あるスラム街で生まれました。現在はマニラのあるスラムから片道11ペソ(25円)ほどの交通費で学校まで通っています。給料は1日たったの280ペソ(700円)ほどで月収は6500ペソ(14000円)です。彼の家庭は両親に男3人兄弟。裕福でないのに加えて、お兄さんは生まれつき心臓が弱く、幼いころから薬を買うためのお金が必要でした。両親は学校の先生でしたが、お兄さんの介護のために仕事をやめました。彼がまだ小学生の低学年だったころ、家族のために学校の休み時間に近くの路上でキャンディーを売っていたそうです。ほどんどお金にはならなかったようですが、何か家族のためにできることを探した結果、小さいことでも続けようと決めました。'better than nothing'彼が常に考えている事だそうです。小さなことでも続けていればいずれは身を結ぶと言う意味がこもっています。

その後、彼は大学受験をします。

彼は小さい頃から医者になるのが夢でした。その夢を叶えるために、フィリピン大学(日本でいう東大)を受験し見事合格します。しかし、そこには問題が。彼の住む地方はフィリピン大学から12時間。とても通える距離ではありませんでした。加えて、フィリピン大学は両親に黙って受験していました。両親の答えはもちろん'No'でした。彼も自分の家にお金が無いことは十分に分かっていたので、両親の答えを承諾し、近くの大学に進学します。トップ入学だったのでお金はかかりませんでした。しかし、彼の家はますますお金が必要で、授業の休み時間に再びキャンディーを売り続けました。そこでの収入は良くて1日10ペソ(20円)。それでは全く足りなかったので週末にお金持ちの家のクリーニングをすることで、1日100ペソ(200円)の収入を得ていました。彼は入学してから卒業するまでトップを維持し続け、奨学金を利用し全くお金がかからず卒業しました。

その後、彼は仕事を探すためにマニラにやってきます。

マニラの物価は他に比べてものすごく高いので、スラム街の小さな家を借りて職を探し始めました。フィリピンで職を得ることはとても大変なことです。彼の出た大学はフィリピン大学に負けないくらいのトップ校ですが、フィリピンで職を得るのに一番大切なのは「能力」ではなく「コネ」でした。やっとの思いで見つけた仕事は語学学校の先生でした。当時の彼の第一希望の職種でしたが、日給は500円以下。法律上はマニラの最低賃金は日給900円程度となっていますが、フィリピンでそんな法律を守っているのは、大手企業と公務員くらいです。フィリピンの法律はお金のある人は守ってくれても、お金のない人は守ってくれません。

幸い、大学でナースを専攻してたので、学校が終わったあとは病院で働くことができました。そして病院のあとはスカイプ英会話。1日の労働時間は15時間。それでやっと12,000ペソ(24,000円程度)のお金を得ていました。その中から7割のお金を家族に仕送り、その生活を3年間続けて今に至ります。

現在、彼の人生に転機が訪れています。


彼が3年間教え続けた生徒が日本でインターナショナルスクールを開くことになりました。そしてその生徒から是非採用したいとの連絡が。そのオーナーは彼の努力と人間性を買って、彼の採用を決めたそうです。日本での給料は25万円。住むところも無料で提供してもらえるので、彼にとってはとても嬉しい誘いでした。彼は今まで自分のためにお金を使ったことはないそうです。今まではすべて家族のため。日本に行けば、家族に7割仕送りしても自分で使うお金の余裕も出るでしょう。


そんな彼に「自分のために何か買いたいものある?」って質問しました。彼の答えは「シンプルなカメラ。」決して高くない安いカメラが欲しいそうです。彼の家には鏡がありませんでした。そんな余裕もありません。彼は小さい頃、自分の顔がどんな感じなのか知らずに生きていたそうです。始めて自分の顔を見たのは、友達が自分に写真を撮ってくれたとき。だから、彼にとってたとえシンプルなカメラでも大切な思い出の一つなんだそうです。


この話を聞いたとき、フィリピンがどういった国なのか改めて思い知りました。観光客レベルでは知ることの出来ない格差がまだまだあるように感じます。また、やはりフィリピン人は日本人からは想像できないほど家族思いな人が多いです。日本人にはない、また日本人が学ぶべきところをたくさん持ったフィリピン人。いつか多くの人が日本で活躍できる日がくるといいと思います。






応援クリックお願いします^^








×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。